乳がんの内分泌療法(ホルモン療法)は、ホルモン感受性(エストロゲン受容体陽性など)の乳がんに対し、エストロゲンという女性ホルモンの働きを抑えることで再発予防や生存率向上を目的とする治療です。代表的な薬剤に、閉経前後を問わず使用されるタモキシフェン(エストロゲン受容体を遮断する薬)や、閉経後の患者さんに使われるアロマターゼ阻害剤(体内でエストロゲンを産生する酵素を阻害する薬)などがあります。これらの薬により体内のエストロゲン作用が大幅に低下すると、更年期に似た状態となり、様々な副作用が現れることがあります。
ホットフラッシュ(ほてり・のぼせ)と睡眠障害(不眠など)は、乳がんホルモン療法の代表的な副作用です
ホットフラッシュとは、突然上半身や顔が熱くなり発汗する発作的な症状で、数分間続くことが多く、いわゆる「ほてり」や「のぼせ」の強いものです。ホルモン療法によって誘発されるホットフラッシュは、自然閉経の女性より頻度や重症度が高い場合もあります。
ホットフラッシュは、エストロゲン低下に伴い脳の視床下部にある体温調節中枢の働きが不安定になるため、わずかな体温上昇にも過敏に反応し、血管の拡張と発汗を引き起こすためと考えられています。また睡眠障害も、ホルモンバランスの急激な変化や夜間のホットフラッシュによる寝汗・寝苦しさから生じます。実際、ホットフラッシュの重症度が高いほどうつ傾向や睡眠障害が悪化する関連も報告されています
乳がん患者さんではホルモン補充療法(更年期障害に対するようなエストロゲン補充)は禁忌のため、これらの更年期様症状に対してはホルモン補充療法以外の方法で対処する必要があります。一般的な対策としては、抗うつ薬や抗てんかん薬(例えばベンラファキシンやガバペンチン)による薬物療法、漢方薬、生活習慣の工夫などがありますが、効果の個人差もあり、十分な改善が得られない患者さんもいます。このような背景から、近年鍼灸療法がホットフラッシュや睡眠障害の緩和策として注目されています。
鍼灸療法とは
鍼灸(しんきゅう)療法は、東洋医学に基づく伝統的な治療法で、細い金属製の鍼(はり)を体の表面にある特定の「経穴(ツボ)」に刺入したり、もぐさ(ヨモギの葉を乾燥させたもの)を燃やしてツボを温め刺激したりする方法です。鍼灸では、体を流れる「気(エネルギー)」や血の巡りを整え、乱れたバランスを正すことで自己治癒力を高めるという考え方があります。例えばストレスや疲労で滞った気血の流れを鍼で調整することで、痛みや不調を和らげるという伝統的な理論です。
現代医学的にも、鍼刺激には鎮痛作用や自律神経調整作用などの効果がある程度解明されつつあります。鍼を刺すと皮膚や筋肉の神経が刺激され、脊髄や脳内でエンドルフィンやセロトニンなどの神経伝達物質(痛みを和らげたり気分を落ち着かせたりする物質)が放出されることが分かっています。この作用により痛みが軽減したりリラックス効果が得られるのです
また、お灸による温熱刺激は血行を良くし筋肉のこわばりを取る効果が期待できます。
近年、がん医療の領域では、鍼灸が補完代替医療(補助的な療法)として注目されています。とくに乳がんを含むがん患者さんでは、不安や痛みの軽減、倦怠感や末梢神経障害の緩和、抗がん剤による吐き気の軽減などを目的に鍼灸が利用され始めています。乳がんホルモン療法による更年期様の副作用(ホットフラッシュ、睡眠障害、関節痛など)についても、薬だけに頼らない対処法として鍼灸療法が取り入れられるケースが増えてきました。
鍼灸がホットフラッシュ・睡眠障害に与える影響
科学的根拠(エビデンス)概要
乳がんホルモン療法によるホットフラッシュや睡眠障害に対する鍼灸療法の効果は、近年さまざまな臨床研究で検証されています。ランダム化比較試験(RCT)やそれらをまとめたメタ分析の結果から、鍼灸には一定の有効性があることが示唆されていますが、研究により結果にばらつきも見られます。
いくつかの注目すべきRCTでは、鍼灸の有効性が明確に示されています。例えば、乳がん患者のホットフラッシュに対し鍼治療と薬物療法(抗うつ薬のベンラファキシン)を比較した試験では、鍼治療が薬物療法と同程度にホットフラッシュの頻度・重症度を減少させる効果を示し、副作用は鍼の方が少ないことが報告されました[1]
この研究では12週間の治療後、両群ともホットフラッシュ発作の大幅な減少が見られ、鍼は薬と同等の効果を示しただけでなく、治療終了後も鍼群では症状改善効果が持続しやすい傾向が確認されました[1]
一方、薬物群は治療終了後比較的早期に症状が再燃する傾向があり、アピールされている持続効果という点で鍼治療が優れていました。この試験ではまた、薬物療法群で吐き気や口の渇きなどの副作用が多く報告されたのに対し、鍼治療群では有害な副作用は報告されていませんでした[1]
別のランダム化比較試験では、ホットフラッシュ対策として電気鍼(鍼に微弱な電流を流す方法)とガバペンチン(抗てんかん薬、ホットフラッシュ緩和にも用いられる薬)を比較していますが、8週間の治療後に電気鍼群が他の治療群よりもホットフラッシュの複合スコアを大きく改善し、ガバペンチンよりも有効で副作用も少ない可能性が示されました[2]
このように、対照試験において、従来の薬物療法と同等あるいはそれ以上の効果が示唆された報告は少なくありません。
さらに、近年の大規模な国際共同研究では、アメリカ・中国・韓国の3か国で同時に行われた臨床試験のデータを統合解析し、鍼灸の有効性を検証しました。その結果、10週間で20回の鍼治療を受けた群は、通常ケアのみの群に比べてホットフラッシュの症状スコアが有意に改善し(鍼群でスコア5.3ポイント減少、対照群は1.4ポイント減少)[3]
、同時にホルモン療法による全身症状(関節痛や気分症状などを含む)のスコアや乳がん関連の生活の質も有意に向上しました[3]。この解析は2024年に報告されたもので、鍼治療が世界各地の乳がん患者のホットフラッシュや内分泌症状の緩和に統計学的にも臨床的にも有意な効果をもたらすことを示しています[3]
国際的にみても、鍼灸はホットフラッシュ対策として有望な選択肢であると言えます。
一方で、鍼灸の効果を評価した研究の中には、結果がはっきりしないものや効果が小さいとする報告もあります。複数のRCTをまとめて解析したメタ分析の結果では、鍼灸群と対照群(偽の鍼や通常ケアなど)を比べたときに、ホットフラッシュの発作頻度自体には統計的に有意な差が認められなかったとするものもあります[4]
たとえば2021年の系統的レビューでも、乳がん治療中の女性において鍼治療群は対照群に比べ、ホットフラッシュ、疲労、不眠、不安など様々な症状の改善率が高かったと結論付けられています[6]
一方で、効果の程度は研究により異なり、統計学的に明確な差が出ない場合もあることから、鍼灸の有効性にはなお検討の余地があるとも言えます。ただし偽の鍼や対照ケアにおいても症状改善が見られる背景には、鍼刺激そのものの非特異的効果(例えばリラックス効果やケアを受ける安心感)も寄与している可能性があります。この点も踏まえ、現時点のエビデンスは「鍼灸はホットフラッシュを含む更年期様症状の緩和に役立つ可能性が高いが、プラセボ効果も含めた総合的な効果であろう」という解釈がなされています。
鍼灸の作用メカニズム
鍼灸がホットフラッシュや睡眠障害を改善しうる背景には、自律神経系や内分泌系に対する調整作用があると考えられています。ホットフラッシュはエストロゲン低下により脳内の体温調節のしきい値が狂うことで生じますが、その一因として視床下部でのβ-エンドルフィン(脳内鎮痛物質)の減少が挙げられます
エストロゲンが減ると視床下部でエンドルフィンが減少し、代わりにノルアドレナリンやセロトニンが過剰に分泌されて体温調節中枢の閾値が低下します。その結果、わずかな温度変化でも「体温が上がりすぎた」と脳が判断して血管拡張と発汗(熱放散反応)を起こし、ホットフラッシュが引き起こされます
鍼刺激にはこのエンドルフィンの分泌を促進する作用があり、乱れた視床下部の体温制御を正常化する働きがある可能性が考えられています。つまり、鍼灸により脳内の神経伝達物質のバランスが整えられ、ホットフラッシュを誘発する閾値の乱れが改善する可能性があります。
また、鍼灸は全身の自律神経(交感神経と副交感神経)のバランスを調整するとされています
ホットフラッシュ発作時には交感神経の過剰な反応が関与し、急激な発汗や心拍数の増加が起こります。鍼治療によって副交感神経が優位になりリラックスすると、こうした過剰反応が抑えられ、発作の頻度や程度が緩和されると考えられます
実際に不安感や緊張の強い患者さんで鍼施術中にリラックスしてうとうとするようなことがありますが、その後はしばらく交感神経の活動が穏やかになり、安定した状態が続くことが知られています。こうした自律神経への作用は、ホットフラッシュだけでなく不安感や動悸、不眠など様々な症状の改善につながります
加えて、血行改善や筋緊張の緩和も鍼灸の効果機序として重要です。お灸による温熱刺激や鍼刺激は末梢の血管を拡張させ血流を良くします。血流が改善すると熱の分布が全身で均一化し、局所的なのぼせ感が軽減されます。また筋肉の緊張が和らぐことで首や肩のこりが取れ、頭部への血流過多が抑制されほてりが緩和することも期待できます。鍼灸によって体全体の「巡り」が良くなることで、体温調節機能の安定化に寄与しているとも言えます。
一方、ホルモンバランスの調整という観点では、鍼灸が直接エストロゲン値を回復させるわけではありませんが、睡眠やストレス関連のホルモンに影響を及ぼすことが報告されています。例えば、鍼治療を数週間受けた不眠症患者で、夜間のメラトニン(睡眠ホルモン)分泌が有意に増加し、睡眠の質が改善したとの研究もあります[7]
メラトニンは夜間に分泌が高まると睡眠を誘発するホルモンで、エストロゲン低下時にはそのリズムが乱れやすいことが知られています。鍼灸によって夜間のメラトニン分泌リズムが整えば、睡眠障害の改善につながります。このように鍼灸は、エストロゲン以外の内分泌系(副腎や松果体から出るホルモンなど)や神経系に幅広く作用し、ホットフラッシュや不眠の根底にある生理的乱れを総合的に調整すると考えられます。
ホットフラッシュの改善度と持続効果
鍼灸によるホットフラッシュ症状の改善度合いは、個人差もありますが、研究では症状頻度の減少や重症度の軽減が報告されています。具体的には、上記のような臨床試験において鍼治療を受けた患者さんでは、1日のホットフラッシュ発作回数が治療前より30~50%程度減少したり(対照群や他の治療群と同等以上の改善)、発作の強さが緩和して日常生活への支障が軽減したりしています[1][3]。一部の研究では、ホットフラッシュ専用のスコア(発作の回数と重さを組み合わせた指標)が鍼治療により大きく改善し、生活の質が向上したことが示されています[3]
特に鍼治療の効果が出始めるまでには数週かかる場合もありますが、約8~12週の継続治療でピークの効果が得られる報告が多いです[1][3]。
鍼灸の効果が現れた後、その持続期間についても注目すべき所見があります。先に述べたRCTのひとつでは、12週間の鍼治療終了後も効果が持続し、経過観察の数ヶ月間にわたりホットフラッシュ発作が少ない状態が続いたと報告されています[1]。対照的に、薬物療法を中止したグループでは比較的早期に症状が元に戻りやすかったとのことです[1]
このことは、鍼灸が一時的な対症療法に留まらず、体質改善的な効果をもたらしている可能性を示唆します。ただし、他の研究では治療終了後に徐々に効果が減弱し数ヶ月〜半年ほどで症状が元に戻ったとの報告もあり、効果の持続期間には個人差と不確実性があります[5]
そのため、鍼灸による症状改善を維持するには、必要に応じてメンテナンス目的の施術(例えば月に1回程度のフォローアップ鍼治療)を続けることが推奨される場合もあります。実際の臨床では、ホットフラッシュが再燃した際に追加の鍼治療を行い、再び症状をコントロールするといった対応が取られることもあります。
睡眠障害の改善度と効果持続
鍼灸療法はホットフラッシュだけでなく、付随する睡眠障害の改善にも寄与する可能性があります。ホットフラッシュが夜間に起こるナイトスウェット(寝汗)は睡眠を妨げ、不眠や断続的な睡眠の原因となりますが、鍼治療によってホットフラッシュ自体が和らぐことで夜間の睡眠中断が減ることが期待できます。実際、鍼治療を受けた乳がん患者さんでは睡眠の質(ぐっすり眠れたかどうか)や不眠の程度が対照群より改善したと報告されています[6]
患者さん自身の報告によるアンケート調査でも、鍼治療後に「夜間にまとめて眠れるようになった」「寝汗で目が覚める回数が減った」という声が聞かれています。
鍼灸が不眠に効果を発揮する理由は、前述したように自律神経の調整や脳内物質の作用によりリラックス効果が得られる点にあります。施術中に眠ってしまう患者さんもいるほど、鍼には鎮静作用が認められます。また不安や抑うつの改善も睡眠の質向上につながります。ある研究では、8週間の鍼治療で不眠症患者の総睡眠時間や睡眠効率が向上し、不安スコアも低下したとされています[7]
乳がん患者さんにおいても、ホルモン療法中の不安感や抑うつ傾向が鍼灸によって和らげば、眠りにも良い影響が及ぶと考えられます。さらに、鍼灸の効果はホットフラッシュと同様に持続する場合があり、治療終了後もしばらく睡眠状態が良好に保たれたとの報告もあります[6]
鍼灸はホルモン補充療法の困る副作用につき改善効果を発揮し、患者さんの夜間の休息を改善する可能性が示唆されています。
副作用の有無と安全性
鍼灸療法は副作用が少ない安全な治療法としても評価されています。上述のような臨床試験において、鍼治療中または治療後に報告された重篤な有害事象はほとんどありませんでした[1]
一部の研究では鍼治療群で軽い筋肉痛や一過性のだるさを感じた患者さんがいましたが、その症状は短時間で消失し、医学的に問題となる副作用は認められていません[4]
鍼の刺入部位からわずかな出血や皮下出血斑(青あざ)が生じることがありますが、適切な施術では大事に至ることは稀です。また感染症予防のため日本では使い捨て鍼(ディスポーザブル鍼)が一般的に使用され、安全管理が徹底されています。
薬物療法と比較すると、鍼灸は内服薬特有の全身性副作用(例:抗うつ薬による口の渇きや眠気、抗てんかん薬によるめまいや体重増加など)が無い点が大きな利点です[1]
むしろ前述の研究では、鍼治療により性欲低下が改善したりエネルギーレベルや精神的な明晰さが向上したりするなど、全身状態の好転が報告されています[1]
これは鍼灸が本来持つ全体調整作用のおかげで、単なるホットフラッシュの軽減に留まらず、患者さんの心身の健康を総合的に底上げする効果が現れたものと考えられます。
もちろん、完全にリスクがゼロというわけではなく、ごくまれに体質的に鍼刺激が合わず気分不良(いわゆる鍼酔い)を起こす人や、過去に鍼治療で感染症・合併症を起こした報告も皆無ではありません。しかし適切な訓練を受けた鍼灸師による施術であれば、重大なリスクは極めて低く、安全性は高いといえます。総じて、乳がん患者さんがホットフラッシュや不眠の改善目的で鍼灸を試みる場合、その副作用リスクはきわめて小さく、メリットがデメリットを大きく上回る可能性があります。
4. 乳がん内分泌療法によるホットフラッシュ・睡眠障害に対する鍼灸の治療プロトコル
乳がんホルモン療法の副作用緩和を目的とした鍼灸治療では、更年期障害の治療で実績のある経穴や、自律神経を調える作用のある経穴が組み合わせて使われることが一般的です。東洋医学的には、ホットフラッシュや寝汗は「腎陰虚(腎の陰(冷やす力)の不足)」による陰陽の不均衡や「肝鬱(肝の気の滞り)」による自律神経失調と考えられるため、腎の陰を補い肝の気をめぐらせるようなツボが重視されます。また、不眠に対しては心身を落ち着かせるツボや、血流を脳から下げて安眠を促すツボが用いられます。
具体的な代表的経穴(ツボ)として、以下のようなものが挙げられます。
- 合谷(ごうこく) – 手の甲の親指と人差し指の骨の交わる所にあるツボです。自律神経を整え、頭部の血流を調節する作用があるとされ、ストレス緩和や熱感のコントロールに用いられます。頭痛やのぼせの改善にも使われる万能穴です。
- 太衝(たいしょう) – 足の甲、第1趾と第2趾の骨が交わる部分にあるツボです。肝経の原穴(げんけつ)で、滞った「気」を巡らせて精神的な緊張やイライラを鎮める効果が期待できます。合谷と太衝を組み合わせる「四関穴(しかんけつ)」という手法は、全身の気血の巡りを良くし自律神経を安定させるため、更年期症状の緩和によく用いられます。
- 内関(ないかん) – 前腕の内側、手首の横ジワから指3本分ひじ寄りにあるツボです。心包経に属し、胸部のつかえや動悸、不安感を和らげる作用があります。ストレスや不眠の改善にも効果的で、吐き気止めのツボとしても有名です。ホットフラッシュに伴う動悸や不安感の軽減、またリラックス効果による睡眠改善を目的に使われます。
- 三陰交(さんいんこう) – 内くるぶしの中心から指4本分上の脛骨(すね)の後ろ際にあるツボです。足の3つの陰経(肝・腎・脾)が交わる重要な交会穴で、血行促進やホルモンバランス調整に深く関与します。婦人科系のあらゆる症状に頻用され、ホットフラッシュなど更年期症状の緩和や、不眠の改善にも効果があるとされます。腎を補い水分代謝を整えることで、のぼせと多汗を調節する狙いがあります。
- 百会(ひゃくえ) – 頭頂部の中央、左右の耳の上端を結んだ線と体の正中線の交点にあるツボです。大脳皮質に刺激が伝わりやすいと言われ、精神安定や自律神経の調整作用があります。イライラや不安、不眠の改善に用いられるほか、頭部の血の巡りを整えてのぼせを鎮める目的でも使われます。リラックス効果が高く、施術中に百会への鍼で眠ってしまう患者さんもいるほどです。
以上のような主要なツボに加え、個々の症状や体質に応じて様々な経穴が組み合わせて用いられます。例えば、ほてりが強く上半身に熱がこもるタイプの方には大椎(だいつい:首の付け根)や風池(ふうち:後頭部)など熱を冷ますツボを追加したり、逆に冷えのぼせ(下半身が冷えて上半身だけ熱い)の方には照海(しょうかい:足首内側)や腎兪(じんゆ:腰部)に温灸を据えて腎陽を補うといった工夫もされます。また、眠りが浅い方には安眠(あんみん:首の後ろ)という不眠専用のツボや、神門(しんもん:手首内側の横ジワ上)など心を落ち着かせるツボを追加することもあります。このように鍼灸治療はオーダーメイドでツボが選択され、患者さん一人ひとりの症状像に合わせた経穴処方が行われます。
施術方法としては、使い捨ての滅菌金属鍼を皮膚に刺入して刺激します。刺す深さは部位によって異なりますが、だいたい数ミリから数センチ程度です(例:百会や合谷は浅め、臀部や太ももは深めに刺します)。刺入の際の痛みは髪の毛をつまむ程度か、チクッと蚊に刺された程度のごくわずかなものです。鍼を刺した後は数秒~数十秒かけてゆっくり上下や回旋に動かし、「得気(とっき)」(日本では「ひびき」とも言います)と呼ばれるズーンと重い感覚や響く感じを引き出します。これは鍼が気の反応を得て治療効果が現れ始めたサインと考えられ、心地よい鈍い感覚です。十分刺激を与えたらそのまま鍼を刺した状態で10~30分程度留置し(症状や施術者の方針によります)、経穴に継続的な作用をもたらします。場合によっては鍼に低周波の微弱電流を流す電気鍼や、刺さずに皮膚に触れるだけの接触鍼を併用することもあります。お灸を併用する場合は、肌に直接もぐさを置かない間接灸(温熱刺激を与える方法)が使われることが多く、心地よい温かさを感じる程度に留めます。
施術頻度は、症状の程度にもよりますが、臨床試験では週1~2回のペースで行われることが多くみられます。例えば前述の国際試験では週2回(計10週間で20回)の鍼治療が行われました[3]
他の多くの試験でも8~12週間で8~16回程度の施術を行うプロトコルが採用されています[1][2]。臨床の現場でも、まず週1回ペースで2~3か月継続して経過を見ることが一般的です。
効果が安定してくれば施術間隔を徐々に延ばし、2週に1回、月1回へと減らしても症状が落ち着くか確認します。患者さんによっては数回の施術で速やかに改善することもありますし、逆に効果実感までに5~6回以上を要するケースもあります。そのため、通常は5回前後の施術で効果判定を行い、十分な効果が得られればそのまま継続、効果不十分であればツボの見直しや他の対策併用を検討します。治療期間はあくまで目安であり、症状が落ち着けば終了となりますが、ホルモン療法が続く限り症状再発の可能性もあるため、必要に応じてメンテナンス治療を行う方もいます。
治療にあたっては、鍼灸師と相談しながら刺激量を加減することも大切です。強い刺激が苦手な方や体力の落ちている方にはソフトな鍼やお灸で対応し、逆に効果が出にくい場合はやや強めに刺激することもあります。鍼灸は本来リラクゼーション効果もある療法ですので、リラックスして受けることが治療効果を高めます。施術中は痛みよりも「気持ちよさ」や「スッと楽になる感覚」に注目し、何か異常を感じたらすぐに申し出るようにすると良いでしょう。
乳がんホルモン療法に伴う副作用への鍼灸エビデンスのまとめ
乳がん内分泌療法によるホットフラッシュおよび睡眠障害に対する鍼灸療法のエビデンスを総合すると、鍼灸はこれらの症状緩和に一定の有効性を持つ治療と結論づけられます。主要な臨床研究の多くは、鍼治療によってホットフラッシュの頻度や重さが減り、付随する不眠や気分不良なども改善する傾向を報告しています[1][3][6]。その結果、患者さんの生活の質や治療満足度が向上し、ホルモン療法を継続しやすくなる(副作用による治療中断リスクが下がる)可能性がある、リスクの少ない治療方法の一つです。
ホットフラッシュや睡眠障害は、乳がんと闘う患者さんにとって日々の生活を苦しくさせるつらい副作用です。その緩和策として、鍼灸という伝統的かつ現代的エビデンスに支えられた療法を取り入れることは、症状改善のみならず患者さんの自己管理感の向上にもつながります。最終的には、患者さんご自身が納得し安心できる形で治療を継続することが何より大切です。鍼灸療法の活用について、医療チームと相談しながら前向きに検討してみてはいかがでしょうか。
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