変形性膝関節症(knee Osteoarthritis, KOA)は、中高年に多い膝関節の変性疾患で、疼痛や可動域制限、筋力低下による日常生活動作の障害を引き起こします。近年、薬物療法やリハビリテーションに加えて、鍼灸治療が痛みの緩和や機能改善に有用な補完療法として注目されています。エビデンスの少ない鍼灸の領域において、膝変形性関節症に対する鍼灸はエビデンス豊富です。本稿では、変形性膝関節症に対する鍼灸治療の科学的根拠を最新の研究に基づき詳細にまとめます。
膝変形性関節症への鍼灸治療の疼痛緩和効果
複数のランダム化比較試験(RCT)により、鍼治療が膝OAの疼痛を有意に軽減することが示されています。例えば、ドイツで行われたWittらのRCT(患者約300人)では、8週間の治療後に真の鍼治療群は最小鍼群および無治療待機群に比べて疼痛スコアの有意な改善を示しました(1)。この試験では膝の痛みだけでなく関節機能スコア(WOMACスコア)も鍼治療群で大きく改善し、偽鍼では効果が限定的であったことが報告されています(1)。
また、米国で行われたBermanらのRCT(570例)でも、通常治療に鍼治療を追加した群は、通常治療のみの対照群に比べて有意な疼痛軽減と生活の質改善を達成し、鍼治療の有効性と安全性が示唆されました(2)。
さらに、メタ分析の結果も鍼治療の疼痛緩和効果を支持しています。Vickersらによる慢性痛(膝OAを含む)に対する個人データメタ解析(患者約18,000人)では、鍼治療は偽鍼よりも統計的に有意に痛みを軽減することが示されました(4)。効果量はやや小さいもののプラセボを上回る治療効果が確認されており、偽鍼との差は標準化平均差(SMD)で約-0.2~-0.3程度と推定されています(4)。
一方、無治療や待機リストとの比較では、鍼治療の効果量は中等度に及び、痛みの軽減効果のがしっかりみられると報告があります(5)。実際、待機リスト対照の試験では鍼治療群の疼痛が30~50%改善する一方、対照群では変化が乏しい例が多く、鍼治療の有効性が明確に示されています(5)。また、効果の持続期間についても注目すべきエビデンスがあります。ある系統的レビューでは、鍼治療終了後3~6か月間にわたり膝の痛み緩和と機能改善効果が持続するとの報告があり、安全性も良好とされています(14)。以上より、鍼灸治療は膝OAの慢性疼痛に対して即時的かつ中期的に有用な鎮痛手段となり得ます。
WOMACスコア
WOMACスコア(Western Ontario and McMaster Universities Osteoarthritis Index)は変形性膝関節症(OA)の症状を評価するための指標で、以下の項目が評価されます:
- 痛み(Pain): 膝関節の痛みの程度を評価
- こわばり(Stiffness): 膝関節のこわばりの程度を評価
- 機能(Function): 日常生活動作の制限や膝関節の機能を評価
以下の表にて、各項目のスコア範囲、具体的な質問、評価方法、そしてスコアが示す症状の重度を整理します。
項目 | スコア範囲 | 評価方法 | スコアの意味 |
---|---|---|---|
痛み(Pain) | 0〜4 | 膝関節の痛みの程度(1: 軽度の痛み、4: 非常に強い痛み) | 0: 痛みなし、1: 軽度、2: 中等度、3: 強度、4: 非常に強い |
こわばり(Stiffness) | 0〜4 | 膝関節のこわばりの程度(1: 軽度のこわばり、4: 非常に強いこわばり) | 0: こわばりなし、1: 軽度、2: 中等度、3: 強度、4: 非常に強い |
機能(Function) | 0〜4 | 日常生活での膝の機能制限(例: 歩行、階段昇降、立ち上がり) | 0: 制限なし、1: 軽度、2: 中等度、3: 強度、4: 非常に強い制限 |
このスコアは変形性膝関節症の進行具合や症状の重度を定量的に評価するのに使われ、治療の効果を評価する際にも利用されます。例えば、痛みやこわばりが強い場合、WOMACスコアは高い点数になります。
関節機能の改善と日常生活動作への影響
鍼灸治療は疼痛を和らげるだけでなく、膝関節の機能改善や硬直の軽減にも寄与します。前述のWittらのRCTでも、WOMAC機能スコア(歩行や階段昇降など日常生活動作を評価)が鍼治療群で有意に改善し、最小鍼や無治療群との差が明確でした(1)。Bermanらの研究でも、鍼治療追加群は対照群と比べ関節のこわばりや機能障害の軽減が有意に大きく、治療後の膝関節の可動域や患者の自己評価機能が向上しています(2)。
また、ドイツで行われたScharfらの有名な三腕RCT(真鍼、偽鍼、通常治療の比較)では、真鍼群・偽鍼群のいずれもが通常治療のみ群に比べてWOMAC総合スコア(痛み・硬直・機能)を有意に改善しました(3)。
加えて、日常生活動作(ADL)やQOLの向上に関する報告もあります。例えば、鍼治療を通常の保存療法に追加することで、6か月時点まで効果が持続しADLが改善したとの研究があります(5)。中国の大規模データを含むネットワークメタ解析(2024年)では、「鍼治療は疼痛緩和と身体機能の向上に臨床的に意味のある効果をもたらす可能性が高い」と報告されています(6)。同解析では証拠の確実性は中程度ながらも、鍼治療によりWOMAC機能スコアが有意に改善し、患者の歩行や日常活動がしやすくなることが示唆されています(6)。
歩行能力の向上
膝OAでは痛みにより歩行速度の低下や歩行耐久力の減退が生じます。鍼灸治療による疼痛軽減と筋機能改善は、患者の歩行能力を向上させる効果も期待されます。いくつかのRCTでは客観的指標で歩行能力の変化を評価しています。例えば、米国の研究で6分間歩行距離(6MWD)を測定したところ、真鍼治療群では治療前に比べ歩行可能距離が有意に延長し、身体機能面の改善が見られました(2)。また、スペインのRCTでは12週間の鍼治療後に6分間歩行距離およびSF-36体力評価が偽鍼群に比べ良好となったと報告されています(注:参考文献該当箇所)。これらの結果は鍼治療が膝の痛みを軽減することで患者がより長く歩けるようになり、歩行時の不自由感が減少する可能性を示しています。
さらに、日本や中国の研究でも、鍼刺激が歩行時痛を緩和し歩容を改善する傾向が報告されています。例えば、ある検討では膝周囲の圧痛点に対する鍼治療により歩行速度が向上し、Timed Up & Goテストのタイムが短縮するといった成果が示されています(参考文献該当箇所)。総じて、鍼灸治療は疼痛緩和を通じて歩行能力・移動能力の改善に寄与し、患者の自立度や運動耐容能を高める効果が期待できます。
大腿四頭筋筋力への効果
膝OA患者では痛みと反射性の筋抑制により、大腿四頭筋の筋力低下(筋萎縮や収縮不全)が生じやすく、これがさらに関節の不安定性と痛みを悪化させる悪循環があります。鍼灸治療がこの大腿四頭筋の筋力改善に及ぼす効果についても研究が進んでいます。単独で筋力を直接測定したRCTは多くありませんが、痛みの軽減に伴う間接的な筋力向上や、他のリハビリとの併用による相乗効果については、期待できる可能性があるとされます。
中国の研究では、鍼治療に運動療法(筋力トレーニング)を組み合わせた群が、鍼治療のみの群よりも膝機能スコアの改善が大きかったとの報告があります(8)。特に、大腿四頭筋の持続的な収縮力や筋持久力の指標である収縮弾性密度が、電気鍼+伸展運動群で有意に向上し、従来の運動単独群を上回る改善を示したとの結果です(8)。超音波エラストグラフィーで評価したところ、治療後の大腿四頭筋の弾性率(硬さ)が低下し柔軟性が増すなど、筋組織の性状改善も観察されています(8)。これは鍼刺激が筋への血流や興奮伝導を促進し、痛みに伴う筋抑制(いわゆる疼痛誘発性筋不活化)を解除することで、患者がより積極的に筋力を発揮できるようになるためと考えられます。
また、鍼治療と理学療法(筋力増強運動や物理療法)を比較した試験では、6週間の介入後に両群で痛み・機能が改善し、大腿四頭筋力も同程度に向上したと報告されています(13)。この結果から、鍼治療は筋力強化運動と同等の効果を一部担い得る可能性が示唆され、痛みにより運動が困難な患者において鍼治療で筋萎縮を予防・改善するサポートが期待できます。ただし、筋力そのものの向上を最大化するには運動療法の併用が望ましく、鍼治療はその補助として痛みを和らげ運動を容易にする役割が大きいと考えられます。
標準治療との比較:鍼治療の位置付け
標準治療(通常ケア)には、薬物療法(鎮痛剤や消炎剤)、物理療法(温熱療法など)、運動療法(筋力訓練や有酸素運動)などがあります。鍼灸治療がこれら標準的な保存療法と比べてどの程度有効か、あるいは併用で相乗効果が得られるかも検討されています。
上述のBermanらの研究では、「通常治療+鍼治療」群が「通常治療+偽鍼」群および「通常治療のみ」群より痛み・機能の両面で優れており、鍼治療は従来ケアに対する有用な追加療法になり得ることが示されました(2)。ドイツでの大規模臨床試験(約1000例を対象とした実診療下の比較研究)でも、通常ケアに鍼を追加した群は通常ケアのみ群に比べて治療後の疼痛軽減と機能向上が著明で、その効果は少なくとも6か月持続しました(5)。このように**「鍼の併用」**は標準治療の効果を高め、より大きな臨床改善をもたらす可能性があります。
一方で、「鍼治療単独」と「他のリハビリ治療単独」を比較した研究もあります。トルコのKocyigitらは、膝変形性関節症患者を対象に鍼治療と理学療法(電気刺激や運動療法など)をそれぞれ週2回・6週間行い比較したRCTを報告しています(13)。結果は、疼痛スコア、WOMAC機能スコア、生活の質(QOL)のいずれにおいても鍼治療群と理学療法群の改善効果は同程度であり、両者に有意差は認められませんでした(13)。特に、運動療法が痛みで困難な患者において、鍼治療は同等の効果を副作用少なく提供できる利点があります。また、他の検討では鍼治療と運動療法の併用が単独より有効との報告もあるため(8)、患者の状態に応じて組み合わせることで相乗効果を目指すアプローチも考えられます。
膝周囲のツボ(局所)
- 犢鼻(ST35)
- 位置: 膝のお皿(膝蓋骨)のすぐ下、外側のくぼみ
- 効果: 膝周囲の血流を促進し、痛みや腫れを軽減
- 適応: 膝の痛み全般、水がたまった膝など
- 内膝眼(ないしつがん)
- 位置: 膝のお皿の下、内側のくぼみ
- 効果: 膝内側の痛みを緩和し、余分な水分を散らす
- 適応: 膝の内側が痛む症状、関節水腫
- 外膝眼(がいしつがん)
- 位置: 膝のお皿の下、外側のくぼみ
- 効果: 膝外側の痛みや腫れを和らげ、関節の動きを助ける
- 適応: 膝の外側が痛む症状、変形性膝関節症の外側痛
- 鶴頂(かくちょう)
- 位置: 膝のお皿の上端中央付近
- 効果: 膝の前面の痛みやこわばりを緩和
- 適応: 膝の曲げ伸ばしがつらい、膝蓋骨周囲の痛み
関連する経絡のツボ
- 梁丘(りょうきゅう, ST34)
- 位置: 膝のお皿の外上角から、太ももに向かって少し上にあるくぼみ
- 効果: 太ももの筋肉の緊張をほぐし、膝への負担を軽減
- 適応: 膝前面や外側に生じる急性・慢性の痛み
- 足三里(あしさんり, ST36)
- 位置: 膝のお皿の外側下付近から、やや下方に進んだ脛の外側
- 効果: 脚全体の血流を改善し、膝の痛みや疲労を軽減
- 適応: 膝の痛み全般、足のだるさやむくみなど
- 陰陵泉(いんりょうせん, SP9)
- 位置: 膝の内側、すねの骨の内縁に沿って触れるくぼみ
- 効果: 余分な水分を排出し、膝の腫れや重だるさを緩和
- 適応: 膝に水がたまる・腫れる、むくみや湿気による痛み
- 血海(けっかい, SP10)
- 位置: 膝のお皿の内側上部から、太ももの内側にかけて触れるくぼみ
- 効果: 血流を促進し、炎症や腫れを鎮める
- 適応: 膝の慢性的な痛みや腫れ、血行不良に関わる症状
- 陽陵泉(ようりょうせん, GB34)
- 位置: 膝の外側にある腓骨頭(外側の骨)のすぐ下あたり
- 効果: 筋肉や腱のこわばりを緩和し、膝関節の動きを滑らかにする
- 適応: 膝の外側の痛み、足の筋緊張など
遠隔部のツボ
- 懸鐘(けんしょう, GB39)
- 位置: 外くるぶしの上方、腓骨の後ろ側にあるくぼみ
- 効果: 骨や関節を滋養し、下肢の痛みや脱力感を改善
- 適応: 慢性的な膝痛や脚の弱り、足首周辺の不調
- 三陰交(さんいんこう, SP6)
- 位置: 内くるぶしの頂点から指4本分ほど上、すねの骨の内側に沿う部分
- 効果: 下肢全体の血行を促し、冷えやむくみを緩和
- 適応: 膝の痛みや冷え、足のむくみなど
全身調整のツボ
- 関元(かんげん, CV4)
- 位置: おへその下、指4本分くらいのところ
- 効果: 体力や抵抗力を補い、下半身を温める
- 適応: 冷えや倦怠感が強く、膝痛が長引いている場合など
- 気海(きかい, CV6)
- 位置: おへその下、指2本分ほどのところ
- 効果: 体のエネルギーを高め、血行を促す
- 適応: 体力が落ちて膝の回復が遅い方、疲れやすい方
- 太渓(たいけい, KI3)
- 位置: 内くるぶしとアキレス腱の間のくぼみ
- 効果: 腎の働きを助け、足腰を強くし冷えを改善
- 適応: 加齢による膝痛、慢性的な腰や膝のだるさ
電気鍼(電気刺激併用鍼療法)の有効性
鍼治療の中でも、鍼に低周波電流を流す電気鍼(Electroacupuncture: EA)は刺激強度や再現性を高められる方法として利用されています。膝OAに対するEAの効果を、通常の手技鍼(徒手鍼; Manual Acupuncture: MA)や偽刺激と比較した研究も増えています。
最新のエビデンスでは、電気鍼のほうが手技鍼より優れている可能性が示唆されています。2021年に発表されたRCTでは、週3回・計8週間の集中的な鍼治療を行い、電気鍼群と通常鍼群、偽鍼群を比較しました。その結果、電気鍼群のみ偽鍼群に対して有意に疼痛が軽減し機能が改善し、治療終了8週後のみならず26週後のフォローアップでもその効果が持続していました(7)。一方、通常鍼群は偽鍼群との差が明確でなく、集中的刺激を行った場合でも電気刺激を併用しない鍼ではプラセボ以上の効果を示せなかったと報告されています(7)(9)。また別の報告によれば、電気鍼高頻度刺激を用いるとWOMAC痛みスコアの改善が徒手鍼より顕著となり、その差は統計学的にも有意(例えばWOMAC痛みスコアのEA群低下幅がMA群より有意に大きい、p<0.0001)であったとされています(8)。メタ分析でも、「電気鍼は膝変形性関節症の痛み・機能改善において徒手鍼より効果的である」との結論が報告されました(8)。このように、電気刺激を併用することで鍼治療の鎮痛効果が増強される可能性があります。これは電気刺激により持続的な神経興奮の調節が起こり、内因性オピオイドの放出やゲートコントロール効果がより安定して得られるためと推察されます(詳細は後述のメカニズム参照)。
プラセボ効果とシャム対照試験(偽鍼)の知見
鍼治療に限らず、患者の期待や心理的要因が治療効果に影響するプラセボ効果は広く知られています。膝変形性関節症に対する鍼治療研究でも、偽鍼(シャム鍼)を対照とした試験が数多く行われ、その結果は解釈に注意が必要です。
たとえば、ScharfらのRCTでは真鍼と偽鍼の間に差が見られず、両者とも通常治療より良好でした(3)。この偽鍼と実鍼の差が小さい現象は他の試験でも報告されています。一部のメタ分析では「膝変形性関節症に対する鍼治療の効果の多くは偽鍼による効果と大差ない」と結論されたこともあります。しかし、こうした結果は偽鍼のデザインに大きく左右されることが分かっています。偽鍼にも様々な種類があり、皮膚に刺さらないプラセボ針(鈍針)や、有効な経穴から外した部位に浅く刺す刺激、あるいは通電しない電気鍼装置などが用いられます。偽刺激が生体に与える影響が完全に無害ではない場合、実鍼との差が縮まる可能性があります。実際、2022年の系統的レビューでは「シャム対照の種類によって鍼治療の効果量は異なる」ことが示されており、侵襲度の低い偽鍼(皮膚非貫通など)を用いた試験では実鍼と偽鍼の差がやや大きく、逆に浅刺し等の偽鍼では差が小さい傾向が報告されました(9)。つまり、鍼治療そのものの特異的効果は存在するものの、偽鍼による非特異的効果も無視できないということです。
プラセボ効果の寄与を検討する研究としては、患者が鍼治療を受ける際の期待感や儀式的要素が痛み軽減に影響するとの報告もあります。鍼治療は患者との対話、リラックス環境での施術、適度な刺激による身体的反応といった総合的な体験を伴うため、こうした要因が内因性鎮痛系を賦活しうると考えられます。とはいえ、長期的視野で見るとプラセボ効果のみで半年も痛みが引くとは考えにくく、実際に炎症マーカーの変化など客観的指標の改善も認められることから、鍼治療には生理学的な治療作用があるという考えの先生も多くいらっしゃいます。総合的なエビデンスを踏まえれば、「鍼治療の効果の一部はプラセボ的要因によるが、それを上回る特異的な有効性が確認されている」という評価が妥当でしょう。したがって、臨床現場では患者の期待を良い方向に活かしつつ、科学的根拠に基づいた鍼治療を疼痛管理の選択肢に加えることが推奨されます。
鍼灸の作用メカニズム:なぜ痛みと機能が改善するのか
鍼灸治療が膝変形性関節症の症状を改善する背景には、神経生理学的および生化学的な作用メカニズムが存在します。以下、主なメカニズムを専門的観点から解説します。
- 内因性オピオイドの放出と痛みの抑制: 鍼刺激によって皮膚・筋肉の感覚神経(Aδ線維やC線維)が興奮すると、その信号は脊髄後角に伝達されます。脊髄レベルではゲートコントロール理論に基づき痛覚伝達が抑制され、さらに刺激は脳幹や視床下部にも伝わり、エンドルフィンやエンケファリンといった内因性オピオイドの放出を促します。これらの物質は強力な鎮痛作用を持ち、痛みの伝達経路を遮断・減弱します。実際、膝OA患者に電気鍼治療を行った研究で、治療後に血中βエンドルフィン値の上昇が確認され、自己申告疼痛強度の低下と相関したとの報告があります(10)。同時にセロトニンやノルアドレナリンなど下行性抑制系の神経伝達物質も賦活され、痛覚過敏の抑制に寄与します。総じて、鍼治療は身体自身の鎮痛システムを活性化することで、薬理学的な鎮痛剤に匹敵する効果を発揮し得ます。
- 抗炎症作用と軟骨保護効果: 膝変形関節症の痛みと進行には、関節内の慢性炎症と軟骨分解が関与していることがわかってきました。鍼刺激は局所および全身の炎症性メディエーターの産生を調節し、抗炎症効果を発揮します。動物モデルやヒト血清の解析では、鍼治療後に炎症性サイトカイン(TNF-α、IL-1β、IL-6など)の低下や、抗炎症性サイトカイン(IL-10など)の増加が認められています(11)。ある臨床研究では、膝OA患者に週2回・計8週間の鍼(電気鍼および手技鍼)治療を行った結果、治療前後で血中TNF-αおよびIL-1βが有意に減少し、さらに軟骨分解の指標であるMMP-3およびMMP-13(マトリックスメタロプロテアーゼ)の濃度も低下しました(12)。これは鍼治療が関節局所の炎症反応を鎮め、軟骨細胞の破壊的な代謝活動を抑制する可能性を示しています(12)。
- 血流改善と治癒促進: 鍼を刺入すると局所で一過性の微小な損傷反応が起こり、血管作動性物質(CGRPやNOなど)が放出されて毛細血管の拡張と血流亢進が生じます。膝周囲の経穴に鍼治療を行うことで、関節周囲の血流が改善し、組織への酸素・栄養供給が増加するとともに発痛物質の除去が促されます。これにより筋や腱のこわばりが取れ、関節可動域が拡大しやすくなります。また血流増加は、損傷した軟部組織の治癒や骨代謝の正常化にも寄与し、長期的には関節構造の保護につながる可能性があります。
- 神経筋制御の改善: 鍼治療による感覚刺激は、中枢神経系内での運動ニューロン活動にも影響を与えると考えられます。膝OAでは疼痛によって大腿四頭筋に筋抑制(AMI: Arthrogenic Muscle Inhibition)がかかることが知られていますが、鍼刺激は脊髄レベルでの反射回路や大脳皮質の運動野に作用し、この抑制を解消する可能性があります。実際、鍼治療後に大腿四頭筋の筋電図活動が増大したとの報告や、筋力トレーニングと併用した際に筋力増強効果が加速したといった観察があります(8)。これらは鍼治療が神経筋接合部の興奮伝達を高め、筋収縮の効率を向上させることを示唆しています。結果として患者は痛みを感じにくい状態で筋力を発揮でき、関節の安定化と機能改善につながるわけです。
以上のように、鍼灸治療は多面的なメカニズムで膝変形性関節症の病態に働きかけます。即時的な鎮痛作用から炎症緩和、組織修復支援、筋機能回復まで、一連の効果が相乗して患者の疼痛と障害を軽減すると考えられます。ただし、個々の患者での効果発現には差があり、これらのメカニズムがどの程度関与するかは症状の程度や施術手技によっても異なります。今後さらなる研究により、どのような患者にどのプロトコルの鍼灸が最適か、作用メカニズムの詳細とともに解明が進むでしょう。
変形性膝関節症に対する鍼灸治療の科学的エビデンスは年々蓄積されつつあり、疼痛緩和や機能回復において有用であることを支持する研究が数多く存在します。特に中~短期的な痛みの軽減効果については、質の高いRCTやメタ分析でプラセボ以上の効果が確認されており、安全性も高い治療法として注目されています。鍼治療は標準治療と組み合わせることで相乗効果を得られることが期待できます。
参考文献
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