化学療法に伴う悪心・嘔吐に対する鍼灸治療の効果【エビデンスまとめ】

化学療法に伴う悪心・嘔吐(CINV)の概要

化学療法(抗がん剤治療)によって引き起こされる悪心・嘔吐は、Chemotherapy-Induced Nausea and Vomitingの頭文字をとって「CINV」とも呼ばれ、がん患者さんのQOL(生活の質)を著しく低下させる代表的な副作用です。適切に対策しなければ、患者さんの約60~80%に悪心・嘔吐が生じるとも言われています(1)。化学療法に伴う悪心嘔吐にはいくつかの種類があり、発症タイミングなどによって以下のように分類されます。

  • 急性悪心・嘔吐:化学療法施行後おおむね24時間以内に起こる悪心・嘔吐。薬剤投与当日に起こるものが該当します。
  • 遅発性悪心・嘔吐:化学療法施行から24時間以上経ってから現れる悪心・嘔吐。薬剤によっては2~3日後にピークとなる場合もあります。
  • 予測性悪心・嘔吐:過去の化学療法で強い悪心・嘔吐を経験したことにより、次回の治療前から「また吐いてしまうのでは」という不安や条件反射で起こる悪心・嘔吐(いわゆる条件付けによるもの)。

悪心・嘔吐は身体的につらいだけでなく、食事が摂れないことによる栄養不良や脱水を招き、治療意欲の低下や治療の継続困難にもつながりかねません(1)。そのため、CINVの予防・制御はがん治療の重要な一部です。近年では制吐剤(吐き気止め)の発達により、CINVの予防効果は大きく向上しました。一般的に用いられる制吐薬の例として以下があります。

  • 5-HT3受容体拮抗薬(グラニセトロン、オンダンセトロンなど):化学療法による血中セロトニンの作用をブロックし、嘔吐反射を抑えます。
  • NK1受容体拮抗薬(アプレピタントなど):嘔吐中枢で作用するサブスタンスPという物質を抑制し、遅発性の嘔吐を防ぎます。
  • ステロイド薬(デキサメタゾン等):詳しい機序は未解明ですが、他の制吐薬と併用することで制吐効果を高めます。
  • その他:向精神薬のオランザピン(抗精神病薬ですが制吐効果があることが判明)や、漢方の小半夏加茯苓湯なども用いられることがあります。

これら薬物療法に加え、食事の工夫(少量ずつ頻回に食べる・においの強い食品を避ける・冷たい食品で吐き気を和らげる等)やリラクゼーション法(深呼吸、リラックスできる音楽を聴く等)も一般的な対策として推奨されています。

目次

鍼灸と悪心・嘔吐に関するエビデンス

「吐き気に効くツボ」として有名な内関(ないかん)などを刺激する鍼灸療法は、乗り物酔いの軽減や術後の吐き気への効果が知られており、化学療法による悪心・嘔吐に対しても有効ではないかと期待されています。近年、世界的にランダム化比較試験(RCT)やメタアナリシスによって、鍼灸の制吐効果が科学的に検証されつつあります。

例えば、最新の系統的レビュー研究(1)では、38件のRCT(計2,500例以上)のデータを統合して鍼治療の効果を分析しました。その結果、通常の支持療法に鍼治療を併用すると、急性期(治療当日)の嘔吐を抑えられた患者の割合がやや増加し(相対リスク1.13)、遅発期(治療翌日以降)の嘔吐を抑えられた割合も有意に向上する(相対リスク1.47)ことが報告されています(1)。簡単に言うと、吐き気止めなど標準治療のみの場合と比べ、鍼を追加したほうが「全く吐かずに済む患者」が増えたということです。ただし、このレビューでは他の指標(吐き気の強さや全体的な吐いた回数など)に対する鍼の有効性は明確に示されず、また総じてエビデンスの確実性は「低い」と評価されています(1)。研究間のばらつきも大きく、結論としては「効果の可能性は示唆されるが、確かな結論を得るにはさらなる大規模試験が必要」とされています。

個別の臨床試験として海外でも興味深いデータが得られています。アメリカで行われた乳がん患者104名を対象にしたランダム化比較試験では、抗がん剤の高度催吐性レジメン(シスプラチン等)において、標準的な三剤併用制吐薬に加えて低周波電気鍼を施行した群は、シャム鍼(ツボではない場所に刺す偽の鍼治療)群や薬物療法のみの群に比べ、化学療法後5日間の嘔吐回数が大幅に減少しました(2)。

具体的には、嘔吐回数の中央値が電気鍼群5回、偽鍼群10回、薬物のみ群15回と、鍼治療によって吐く回数が約1/3にまで減ったのです(2)。このように、鍼の追加が統計的にも有意な差を生む結果が示されています。また、2005年のメタ分析研究(3)でも、鍼や指圧などツボ刺激全般が急性期の嘔吐発生率を有意に低減しうることが報告されています。特に電気鍼や針刺による刺激では偽治療と比較して明確な効果が認められ、一方でセルフケアなどで使用される手首バンドなどによる指圧では「吐き気の程度」を幾分和らげる効果はあるものの嘔吐そのものの発生には有意差がなかったともされています(3)。

総合すると、鍼灸治療は抗がん剤による嘔吐の頻度を減らすことに一定の効果が期待でき、吐き気の自覚症状緩和にも役立つ可能性があると言えます。ただし、必ずしも全ての研究で一致した結果が出ているわけではなく、効果の大きさにも幅があるため、「補完的治療」として標準的な制吐剤を補助する位置付けで活用されます(4)。

鍼灸の作用メカニズム(なぜ吐き気が軽減するのか)

なぜ鍼や指圧で吐き気が和らぐのでしょうか。その仕組みについては完全には解明されていませんが、いくつかの仮説や研究結果があります。嘔吐反射は、脳幹の嘔吐中枢やその近くにある化学受容器引金帯(CTZ)が体内からの刺激物質を感知し、迷走神経を介した信号や血中を介したシグナルによって引き起こされます。化学療法では消化管からセロトニン (5-HT)が放出され、この5-HTが末梢神経の5-HT3受容体を刺激して嘔吐中枢へ信号を送り吐き気を誘発します。またサブスタンスPがNK1受容体を介して嘔吐に関与します(3)。鍼刺激はこの経路に作用すると考えられており、動物・人の研究からは次のような可能性が示唆されています。

  • 鍼刺激によって迷走神経を含む自律神経系の調節が行われ、胃腸の蠕動運動が整えられる結果、吐き気が軽減する。
  • 鍼や灸により脳内でエンドルフィン(内因性オピオイド)やセロトニンの放出が促進され、これらが嘔吐中枢の興奮を抑制する【鎮吐作用】をもたらす(5)。
  • 化学療法で過剰に放出される5-HTやサブスタンスPといった神経伝達物質の放出・作用を鍼刺激がブロックする可能性がある(5)。
  • 胃の働きを整えるツボへの刺激(例:足三里)によって、消化管粘膜へのダメージが軽減し、嘔吐を引き起こす刺激物質(セロトニンやガストリンなど)の分泌量が減るとの報告もあります(5)。

このように、鍼灸は神経系・内分泌系を介して多面的に吐き気・嘔吐抑制に働きかけていると考えられます。ただし、どの機序がどの程度貢献しているかはまだ研究途上であり、今後さらなる解明が望まれます。

鍼灸治療の具体的な方法とプロトコル

実際に化学療法に伴う嘔気嘔吐軽減を目的として鍼灸治療を行う場合、どのようなツボや方法が用いられるのでしょうか。研究で頻繁に使われている主要な経穴(ツボ)と、治療のプロトコル例を紹介します。

  • 内関(ないかん) – 手首の内側にある経穴で、古来より「吐き気止めのツボ」として知られます。腕の内側の横皺から指3本分肘寄りに位置します。CINVの研究ではほぼ必ずと言っていいほど刺激される重要な点です。
  • 足三里(あしさんり) – 膝の下に位置する足の代表的なツボ。消化機能を整え全身の気力を補う作用があるとされ、悪心以外にも食欲不振や倦怠感の緩和を目的に用いられます。
  • 合谷(ごうこく) – 手の甲、親指と人差し指の骨が合流するあたりの窪んだ点。痛みやストレス緩和など幅広い効能があり、吐き気にも有用とされます。
  • その他の経穴 – 研究によっては、中脘(ちゅうかん)(みぞおちとへその中間)、公孫(こうそん)(足の内側縁)、背部の脾兪・胃兪など消化器系に関わるツボも組み合わせて用いられています。

施術頻度とタイミング:多くの臨床研究では、化学療法の施行日に合わせて鍼治療を行い、その前後数日にわたり継続して施術するプロトコルが採用されています。例えば、化学療法当日の直前に鍼を行い、その後2~5日程度、1日1回のペースで連日治療することで、急性期から遅発期にかけて吐き気を抑えることを目指します(5)。1回の施術時間はおおよそ20~30分間、使い捨ての滅菌鍼を用いて「得気(とっき)」と呼ばれる響きが得られるまで刺激し、その状態でしばらく留置するという方法が一般的です(5)。

電気鍼や指圧との比較:鍼灸治療にはいくつかのバリエーションがあります。鍼に微弱な電流を流して刺激を増強する電気鍼(でんきばり)は、前述の通り嘔吐抑制効果が高いことが示唆されています(2)(3)。一方で、針を刺さずに指でツボを押す指圧や、市販のリストバンド型のツボ刺激具(手首の内関を押すバンド)は、全く何もしないよりは吐き気の軽減に役立つものの、鍼そのものと比べると効果がマイルドである可能性があります(3)。患者さん自身が行えるセルフケアとしては有用なので、鍼治療が苦手な場合や施術の合間には指圧を併用するとよいでしょう。

他の補完療法との併用:CINV対策としては、鍼灸以外にもいくつかの補完代替療法が知られています。例えば、アロマセラピー(芳香療法)ではペパーミントやレモン、ショウガの精油の香りが吐き気軽減に役立つとする報告があります。また、吐き気に対する不安やストレスを和らげる目的でマインドフルネス瞑想リラクゼーション法を取り入れることも効果的です。実際、米国がん学会(ASCO)と統合腫瘍学会(SIO)の合同ガイドライン(4)では、標準的な制吐剤に加えて鍼灸や指圧、リラクゼーション、ショウガの使用などを個々の患者に応じて「選択的に提供してよい」と勧告しています。これらの補完療法を組み合わせることで、薬だけでは防ぎきれない症状を総合的に緩和できる可能性があります。

安全性と注意点

鍼灸は適切に行えば副作用の少ない安全な施術ですが、がん化学療法中の患者さんが受ける際には以下のような注意も必要です。

  • 感染症リスクへの配慮:白血球が減少している状況では感染症のリスクが高まります。鍼灸院を選ぶ際は清潔で滅菌された使い捨て鍼を使用していることを確認しましょう。
  • 出血傾向への注意:血小板の減少や抗凝固薬の服用により出血しやすい場合、鍼による内出血が起こることがあります。細い鍼の使用や刺激量の調整で対応できますが、内出血しやすいことは事前に施術者に伝えてください。特に骨髄抑制の強い時期の治療は避け、血液データが回復しているタイミングで行うほうが安全です。
  • 治療計画の主治医への相談:補完療法とはいえ、鍼灸を新たに始める際は主治医に一言相談しておくと安心です。手術後のリンパ浮腫がある腕には鍼をしないほうがよいなど、個別の注意事項があります。また、決して鍼灸だけに頼って制吐薬を自己判断で中止しないようにしましょう。
  • その他の副作用:鍼の刺激で一時的にだるさを感じたり、まれに気分が悪くなる「鍼暈(しんうん)」という反応が起きることがあります。施術後は無理せず休息をとり、水分補給を心がけてください。灸(温熱刺激)を併用する場合、低温火傷に注意が必要です。

まとめ:抗がん剤治療によるつらい悪心・嘔吐に対して、鍼灸は科学的根拠に支えられた補完療法の一つとして注目されています。現行の制吐剤治療をサポートし、症状をさらに軽減する一助となるでしょう。エビデンスも徐々に蓄積しつつある分野のため、嘔吐でお困りの患者様はぜひ一度ご相談ください。


参考文献

  1. Yan Y. et al. “Acupuncture for the prevention of chemotherapy-induced nausea and vomiting in cancer patients: a systematic review and meta-analysis.” Cancer Medicine. 2023; 12(11):12504-12517.
  2. Shen J. et al. “Electroacupuncture for control of myeloablative chemotherapy-induced emesis: a randomized controlled trial.” JAMA. 2000; 284(21):2755-2761.
  3. Ezzo J. et al. “Acupuncture-point stimulation for chemotherapy-induced nausea and vomiting.” J Clin Oncol. 2005; 23(28):7188-7198.
  4. Lyman GH. et al. “Integrative Therapies During and After Breast Cancer Treatment: ASCO Endorsement of the SIO Clinical Practice Guideline.” J Clin Oncol. 2018; 36(25):2647-2655.
  5. Kong F. et al. “The Clinical Observation of Acupuncture Combined With Antiemetic Drugs in the Prevention and Treatment of CINV in Breast Cancer Patients.” Front Oncol. 2022; 12:888651.
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