化学療法に伴う疼痛の概要
抗がん剤(化学療法)はがん細胞を攻撃する一方で、様々な副作用による疼痛(痛み)を引き起こすことがあります。代表的なものに末梢神経障害性疼痛(CIPN)、骨痛、筋痛、関節痛、頭痛、全身痛があります。例えば、タキサン系やプラチナ製剤、ビンクリスチンなどの薬剤は化学療法誘発性末梢神経障害(CIPN)を高頻度に引き起こし、手足のしびれや焼けるような痛みを生じます。一方で、がんの治療のために必要な薬剤であることは確かですので、この痛みへの対処方法を知ることは重要です。鍼灸は低リスクながら鎮痛効果が高い施術であるため、抗がん剤の副作用の領域で注目されてきている分野です。
CIPNは治療開始1か月後で約6~7割の患者に生じ、治療終了後半年経っても約3割に残存すると報告されています。また、G-CSF(白血球増加因子)製剤の使用後には骨髄が刺激されるため骨の痛みが現れることがあり、これは全身のだるさを伴う骨盤や関節の痛みとして感じられます。タキサン系では投与後数日してから筋肉痛や関節痛(いわゆる筋骨格痛)を訴えるケースもあります。さらに、アロマターゼ阻害薬(乳がんのホルモン療法薬)では関節痛・こわばりが非常に高頻度に起こります。
これらの疼痛は患者さんの生活の質(QOL)を低下させるだけでなく、睡眠障害や気分の落ち込みを招いたり、痛み止めの追加投与が必要になることがあります。重症の場合、抗がん剤の減量や休薬・中止に繋がりうるため、疼痛対策は治療継続の面でも重要です。
鍼灸が疼痛に与える生理学的作用
鍼灸(はりきゅう)は東洋医学に基づく治療法ですが、その鎮痛作用については現代科学的なメカニズムも解明されつつあります。鍼刺激が体にもたらす主な作用には次のようなものがあります。
- 内因性オピオイドの放出:鍼を刺入し経穴を刺激すると、脳や脊髄でエンドルフィンやエンケファリンといった体内鎮痛物質が放出され、痛みの信号を和らげます。特に低頻度の電気鍼刺激(例:2Hz)ではエンドルフィン系が、高頻度刺激(例:100Hz)ではダイノルフィンなどが分泌されることが分かっています。これらはモルヒネ様の作用を持ち、副作用なく痛みを抑制します。
- 下行性疼痛抑制系の賦活:鍼刺激は脳幹の痛み抑制経路(セロトニンやノルアドレナリン作動系)を活性化し、脊髄レベルで痛み信号の伝達を弱めます。簡単に言えば、鍼によって「痛みをブロックするブレーキ」が脳からかかりやすくなるということです。
- ゲートコントロール効果:皮膚や筋肉への刺激は、痛みとは異なる触覚神経線維を興奮させます。これにより脊髄後角で痛み信号が抑制される「ゲートコントロール」という現象が生じ、刺している間は痛みの感じ方が軽減します。
- 炎症反応の調整:鍼や灸による刺激は、患部の血流を改善し筋緊張を和らげることで、炎症性の痛みに伴う腫れやこわばりを軽減します。また一部の研究では、鍼がサイトカインなど炎症物質の産生バランスを整える可能性も示唆されています。
以上のように、鍼灸は神経系・内分泌系・免疫系に幅広く作用し、薬物とは異なるアプローチで痛みを和らげると考えられています
こうした生理学的裏付けがあるため、近年では欧米においても鍼灸が慢性疼痛管理に取り入れられつつあります。
化学療法に伴う疼痛に対する鍼灸治療のエビデンス
近年、がん治療に伴う痛みに対する鍼灸の有効性を検証した臨床研究が増えてきました。特にエビデンス(科学的根拠)が蓄積している疼痛について、主要な研究結果を紹介します。
- 末梢神経障害性疼痛(CIPN):CIPNによる手足の痺れや痛みに対し、鍼治療が有効である可能性が示されています。2019年のシステマティックレビュー(6件のRCT、計386名対象)では、鍼治療群で疼痛スコアが有意に低下し(効果量 -1.21ポイント、P<0.00001)、神経症状によるQOLスコアも改善しました。神経伝導速度には有意差が認められなかったものの、機能面の制限が軽減されたことから、「CIPNの痛みやしびれによる日常生活の障害を緩和できる」と結論づけています。さらに最新のメタアナリシス(2024年、21研究・2121名対象)でも同様に鍼治療がCIPNの痛みを有意に軽減し、神経伝導機能の指標や生活の質を改善する結果が報告されました。この解析では効果量(SMD)約-0.66と中等度の疼痛軽減効果が示され、治療後の患者QOLも有意に向上しています。以上より、CIPNに対する鍼灸は疼痛緩和と機能改善に寄与しうる有望な補完療法と考えられます。実際、現在有効な薬物療法が限られるCIPNにおいて、鍼灸は症状軽減の選択肢の一つとなりつつあります。
- 関節痛(アロマターゼ阻害薬による関節痛など):乳がん術後の内分泌療法であるアロマターゼ阻害薬(AI)は関節痛を高頻度に引き起こしますが、これに対する鍼治療の効果が大規模臨床試験で示されました。米国で行われた無作為比較試験(SWOG S1200試験、226名対象)では、鍼治療群はシャム鍼(偽鍼)群や待機対照群に比べて関節痛のスコアが有意に低下しました。具体的には、治療6週後の「最も強い痛み(BPIワースト痛み)」が真の鍼群でシャム群より0.92ポイント、待機群より0.96ポイントそれぞれ低く(0~10点尺度)、統計的に有意な差が認められています。さらに注目すべきは、治療終了後12週が経過した24週時点でも鍼治療群の痛み軽減効果が持続し、痛みが2ポイント以上改善した患者の割合が鍼群58%と、シャム群33%、対照群31%を大きく上回りました。この研究では鍼治療により痛みに付随するこわばりなども改善し、患者の関節症状による日常生活障害が減少したことが報告されています。以上から、がん治療に伴う関節痛に対する鍼治療の有効性が科学的に裏付けられており、特にホルモン療法中の関節痛緩和に有用といえます。
- 筋痛・全身痛:化学療法中にはインターフェロン療法や一部の分子標的薬などで全身的な筋肉痛や倦怠感を生じることがあります。これらに対する個別の大規模研究はまだ限られていますが、進行がん患者の慢性疼痛全般を対象とした試験から示唆が得られます。たとえば、進行がん患者298名を対象に鍼治療とマッサージを比較したランダム化試験では、鍼治療群で長期的な疼痛の軽減が認められ、対照と比べ有意に痛みが減少しました。また、がんサバイバーの慢性的な筋骨格痛に対し、電気鍼や耳鍼を通常ケアに追加すると痛みが有意に改善したとの報告もあります。これらの結果から、原因が特定しづらい体の広範な痛みや筋肉痛に対しても、鍼灸が痛みの程度を和らげQOLを向上させる一助となる可能性があります。ただし、症状ごとのエビデンスは発展途上であり、今後さらに質の高い研究による検証が望まれます。
- 頭痛:抗がん剤による頭痛そのものを対象とした研究は多くありませんが、片頭痛や緊張型頭痛に対する鍼治療の有効性は一般診療領域で確立しています。複数の臨床試験で鍼治療が頭痛の発作頻度や強度を減少させ、頭痛薬の使用量を減らすことが示されています。化学療法中の頭痛にも同様の効果が期待でき、薬の増量が難しい場合の代替療法となり得ます。実際、がん患者さんの緩和ケアガイドラインでも、難治の頭痛に鍼灸を試みることが選択肢に挙げられています。
以上のように、化学療法に伴う様々な痛みに対する鍼灸の効果が科学的に検討されており、特にCIPNや関節痛に関しては比較的高いエビデンスが蓄積しています。さらにメタアナリシスの結果では、鍼灸や指圧を併用することでがん関連痛全般が軽減し、痛み止め(オピオイド)の使用量も減少したとの報告もあります
鍼灸の具体的な治療プロトコル
鍼灸治療を行うにあたっての具体的な方法について、痛みの種類ごとに一般的なアプローチを紹介します。施術者は患者さん個々の症状や体調に合わせて経穴(ツボ)や刺激法を選択しますが、研究で効果が示唆された代表的な経穴や手法は以下の通りです。
- 末梢神経障害性疼痛(CIPN):手足のしびれ・痛みを訴えるCIPNでは、全身調整の経穴に加え、手足末端の経穴を組み合わせることが多いです。データ解析によると、CIPN治療の重要経穴として「合谷(ごうこく, LI4)」「足三里(あしさんり, ST36)」「曲池(きょくち, LI11)」「太衝(たいしょう, LR3)」「三陰交(さんいんこう, SP6)」などが頻用されています。これらは痛みやしびれの改善に効果的とされるツボで、上肢・下肢の気血循環を促し神経機能を高める狙いがあります。施術法としては、神経への刺激を増強するために電気鍼(鍼に低周波電流を流す方法)が用いられることもあります。電気鍼は刺激量・方法の再現性が高く、連続した刺激によって鎮痛効果をより引き出せる可能性があります。実際、CIPNの臨床研究でも電気鍼を併用した例が多く報告されています。
- 関節痛:関節痛に対する鍼治療では、痛みのある関節周囲の経穴と全身調整の経穴を組み合わせます。例えば膝関節痛であれば膝周囲の「鶴頂」「内膝眼」などの圧痛点(阿是穴)や経穴に加え、全身の痛みを緩和する合谷や足三里を使うといった処方が考えられます。アロマターゼ阻害薬による指関節痛や手首の痛みでは、手肘の経穴(合谷、曲池など)や下肢の経穴(太衝など肝経のツボは関節を潤す作用があるとされる)を組み合わせます。**灸(きゅう)**も関節痛には有用です。関節部位に温灸を行うと局所の血行が改善し、こわばりや冷感の強い関節では痛みの緩和につながります。鍼と灸を併用することで、刺鍼刺激+温熱刺激による相乗効果が期待できます。
- 筋痛・全身痛:全身に広がる筋肉痛や倦怠感を伴う痛みに対しては、体をリラックスさせ自律神経を調整する経穴が有効です。代表的なものに「百会(ひゃくえ)」「神門(しんもん)」「三陰交」などがあり、これらはストレス緩和や全身調整のツボとして知られています。加えて、痛みの強い筋肉のトリガーポイント(圧痛点)に鍼を刺入して筋緊張を和らげる手法も取られます。例えば背中の筋肉痛には膀胱経の圧痛点、首肩こりからくる頭痛には肩井や風池といったツボを使うなど、痛みの分布に応じてアプローチします。広範な痛みの場合、耳鍼(耳への鍼灸)も有用です。耳には全身を投影した多数のポイントがあり、耳介への鍼刺激で全身の痛みを和らげる効果が報告されています。実際、がんによる慢性疼痛に対して耳鍼を行い痛みが軽減したとの研究結果もあります。
- 頭痛:頭痛に対する鍼治療では、頭部・頸部の経穴と手足の遠隔部の経穴を組み合わせます。例えば、偏頭痛にはこめかみ付近の「太陽」や足の「足臨泣」などを用い、全身調整に合谷や内関を使うことがあります。抗がん剤治療中の頭痛であっても、こうした頭痛専門のツボを組み合わせることで痛みの頻度や強度を下げられる可能性があります。慢性的な頭痛持ちの方が化学療法で頭痛悪化した場合など、主治医と相談の上で鍼治療を取り入れてみる価値は十分にあります。
施術頻度と期間: 鍼灸治療の頻度や期間は、痛みの種類と重症度によりますが、臨床研究では週1~2回の施術を数週間から数か月継続するケースが多いです。例えばCIPNの中国での研究では週2~3回の施術を4~8週間行うことが一般的ですし、前述の関節痛の米国試験では計12週にわたり鍼治療を継続しました。症状が強い急性期には週2回程度、改善がみられたら週1回ペースに減らして合計10回前後の施術を一つの目安にします。効果判定は5~6回程度施術を行った時点で行い、十分な効果が得られれば間隔を延ばしたり一旦終了とします。効果維持のために月1回程度のメンテナンス鍼灸を続けるケースもあります。いずれにせよ、患者さんの負担にならない範囲で無理なく続けることが大切です。
安全性と注意点
鍼灸は概して安全性の高い療法ですが、がん患者さんが化学療法中に受ける際にはいくつか注意すべきポイントがあります。
- 副作用・リスク:一般的な副作用として、鍼を刺した部位の軽い痛みや内出血(青あざ)、一時的なだるさなどが起こることがあります。しかし重大な副作用は非常にまれで、適切な手技で行われれば感染症や神経損傷といったトラブルもほとんど報告されていません。実際、がん患者を対象にした鍼治療の臨床試験でも有害事象は軽微で、もっとも多いものでも軽度の皮下出血程度だったとされています。鍼は使い捨て無菌針を使用するため肝炎やHIVなど感染症の心配は極めて低く、安全に配慮された医療行為です。
- 免疫抑制下での注意:白血球が極端に減少している(高度の好中球減少症)時期や、重度の血小板減少がある場合は、鍼による感染リスク・出血リスクが高まる可能性があります。一般に好中球数が1,000/μL未満など感染リスクが高い状況では鍼治療を一時見合わせるか、防護的な抗菌対策を講じた上で慎重に行います。また血小板数が5万/μL未満といった出血リスクが高い場合も、太い鍼や深い刺鍼は避け、ごく浅い鍼や指圧・経皮刺激など代替手法を検討します。いずれの場合も主治医と相談し、安全を最優先に判断する必要があります。
- 体力・皮膚状態への配慮:化学療法中は患者さんの体力や皮膚の状態も変化します。体調が極度に悪い日は無理に施術を受けず休養を優先しましょう。放射線治療と併用している部位の皮膚はデリケートになっているため、その部分への施灸(温熱刺激)は避けます。また、リンパ節郭清を受けた腕(乳がん術後の腕など)にはリンパ浮腫のリスクがあるため、該当肢への鍼は原則避けます。
- 施術者への情報共有:がん患者さんが鍼灸院や漢方クリニックにかかる際は、現在受けている治療内容や病状を正確に伝えることが重要です。使用中の薬剤(特に抗凝固剤や抗血小板薬)も伝えましょう。経験豊富な鍼灸師であれば、これらの情報に基づき安全な施術計画を立ててくれます。また、腫瘍そのものの痛みと治療副作用の痛みが混在している場合もあるため、痛みの性状を詳しく伝えることで、より的確なツボ選びにつながります。
- 医療者との連携:鍼灸はあくまで補完代替医療であり、主治医の治療を置き換えるものではありません。疼痛が強い場合はまず担当医に相談し、鎮痛薬の調整など標準治療を受けた上で、それでも残る痛みや薬の副作用緩和策として鍼灸を併用するのが望ましいです。幸い近年はがん領域でも補完療法に理解を示す医師が増えており、「痛み止め+鍼灸」のように統合的に痛みを管理するアプローチが広がりつつあります。鍼灸を希望する際は主治医にもその旨を伝え、オープンな形でチーム医療の一環として受けると安心です。
以上の点に留意すれば、化学療法中の鍼灸治療は比較的安全かつ有益に受けることができます。実際、多くの研究で鍼灸による重篤な副作用は報告されておらず。適切な施術者の元であれば、QOL向上に役立つ可能性が高いでしょう。
おわりに
抗がん剤治療に伴う痛みは、患者さんの心身を苦しめ治療継続を妨げる大きな要因です。その緩和には薬物療法だけでなく、鍼灸のような補完代替療法も取り入れることで相乗効果が期待できます。鍼灸は痛みの生理学的メカニズムに作用し、副作用も少ない方法として注目されており、CIPNや関節痛をはじめエビデンスも徐々に蓄積しています。大切なのは、科学的根拠に基づいた情報をもとに患者さん自身が納得して治療法を選択することです。主治医と十分に相談しながら、つらい痛みの緩和に向けて鍼灸を活用することで、少しでも快適に治療を乗り越えられる助けになれば幸いです。
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